―― 命ある限り、貴女に・・・・ Determination 「最近、気がついたんだが・・・・」 五行の紋章の戦いから2年。 騎士団の本拠地ブラス城の1室でクリスがぽつりと言った。 「?なんです?」 同じ部屋で書類相手に格闘していたもう1人、ボルスは顔を上げて首を傾げた。 見上げたクリスはいつの間にか書類から目を離して、窓の外に目を向けていたからだ。 ここしばらくグラスランドとの完全和平締結のために忙殺されそうな勢いで働いているクリスとずっと行動を共にしていたボルスだが、こんなにぼんやりした様子を見たことがなかった。 さすがに疲れていらっしゃるのだろうか、労りの言葉を口に乗せようとしたと同時にくるりとクリスが視線をボルスに戻した。 その美しいアイリスの視線を受けて、ドキッとボルスの心臓が音をたてる。 しかしそんな事には気がつきもしないクリスは、世間話でもするように言った。 「髪が伸びていないんだよ。」 「え?」 一瞬意味を掴みかねてきょとんとするボルスにわずかに苦笑してクリスは結い上げてある髪に手を伸ばした。 さらりと、窓から射し込む光を反射して銀の髪がクリスの肩にこぼれ落ちた。 無意識にボルスは息をのむ。 実力と彼女の信頼のおかげで騎士団でクリスと一緒に行動することが一番多いボルスだが、目の前で髪を崩す彼女を見たことがなかった。 初めて見るその光景は心臓に悪いほど美しくて、思わずボルスは目をそらす。 「?どうかしたか?」 「い、い、いえ!な、なんでもありません!」 どもりつつも、なんとか首を振ってボルスはクリスに視線を戻した。 髪を下ろしたクリスはいつもの凛々しい印象が少し薄れて、女性らしい感じになる。 そういえば2年前はよく女の子達にせがまれて髪を下ろしていたっけ・・・・と思ったところで、唐突にボルスは先程の言葉の意味を理解した。 「伸びていないって、まさか2年前から・・・・ですか?」 「うん。」 頷いてクリスは自分の髪の毛先を弄ぶ。 「可笑しい話だけれど、ずっと気がつかなかったんだ。髪が伸びていない事に。こないだ侍女にどこで髪を切ってるのか聞かれて気がついた。」 「それは・・・・やはり真の紋章の・・・・」 彼らしくなく言葉を詰まらせる。 そんな不器用さに苦笑してクリスは自分の右手を覆っている手袋に目を落とした。 2年前、追いかけ続けた父に託された真の水の紋章。 それを継承する事がいかなる意味を持つのか考えるまもなく継承し、その後はまるで考えることを拒むように手袋の下に追いやった。 そのまま2年。 初めて気がついた、紋章を宿した身に訪れる変化 ―― 不老不死。 まるで無視するなとでも言われたように突きつけられた変化に、思いの外クリスは冷静だった。 「不思議なもので、気がついた時に最初に考えたのは髪が伸びることも老化に入るのか、なんて事だったよ。」 そう言って肩をすくめる。 そしてクリスはボルスに背を向けて窓の外に目をやった。 外はゼクセンらしい晴れ。 初夏の風と光が射し込んできて心地いい。 この季節は100年たっても200年たってもかわらないのだろうかとぼんやり考えた。 変わらない季節の中でそれに取り残されている事を感じながら、ゲドは生きてきたのだろうか。 自分やヒューゴはこれからそんな道を歩むのだろうか・・・・。 「今はまだ髪だけだけど、いつか皆が気づくようになったらここを・・・・ゼクセンを去らなくてはならない。」 きりっと胸が痛んだ。 命を賭けて守ろうとした国を去らなくてはならないのは辛い。 しかし炎の英雄のように紋章を封印する理由をクリスは持たなかった。 紋章を封印してしまえば炎の英雄のように人並みに年老いていく事はできるだろう。 でも人の手にない紋章はまたいつ誰が宿そうと企てるかも知れない。 真の紋章の力を知っているからこそ、自分が国に留まりたいという理由だけで紋章を封印することは躊躇われた。 だからこのまま時間に置いて行かれるしか選ぶ事はできないのかもしれない、とどこかで諦めていたのかもしれない。 「・・・・そうですね。」 ふいに耳を打ったボルスの言葉にクリスは思考から一気に引き戻された。 (今のは、ボルスが言ったのか・・・・?) 思わず彼女がそう疑ってしまったほど、その言葉は意外で、その声は穏やかだった。 驚いて振り返ればさっきの位置から動いていないボルスのはしばみ色の瞳が静かにクリスを見つめていた。 「ボルス・・・・?」 「ヒューゴ殿の方は精霊の加護がどうとかで成長しなくてもみんな納得しているらしいですが、ゼクセンはそうはいかないでしょうから。」 一瞬、心臓が凍りついたかと思った。 自分から言ったくせに、と自分でも思うがボルスなら留まってくれと言ってくれるのではないかと思っていた事に気づく。 他の騎士達は冷静な判断力に長けているからわからないが、ボルスなら、と。 (・・・・馬鹿だな、私は。) 引き留めてもらってなんになるというのだろう。 まだ人で居てもいいと、誰かに許して欲しかったのか・・・・。 自分がまだ求められているかもわかりもしないのに。 クリスは冷え切った心を温めるように、深く息を吸った。 そして動揺が言葉に出ないように祈りながら声を出そうとして、あっさりボルスの声に遮られてしまった。 「クリス様。」 「え?な、何?」 「お願いがあります。」 さっきと違い真剣な色を帯びたボルスの視線に何故か無意識に一歩後ずさったクリスの前に、ボルスはすっと片膝をついて言った。 「ゼクセンを去る時の供には、どうか俺を指名してください。」 「・・・・・・・・・・・え?」 クリスが酷く驚いている気配を感じながら、ボルスは顔を上げる。 少し見上げたその先には思った通り見開かれたアイリスの瞳。 この瞳に、その存在に心を奪われた時からボルスには決めていた事だった。 一生をかけるのはクリスだけ。 例え彼女が誰かを愛しても、特別な目で見られることなど無くても彼女に命を預け彼女のために生きる。 それは彼女が真の紋章を継承しようとも揺るぐことはなかった。 命ある限り、貴女と共に。 例え限りある命を持った者が不死の者に付いていける時間など僅かしかなくとも、それが最上級の幸せなのだと。 そう語りかけてくるようなボルスの顔を凝視していたクリスは唐突に上擦った声で怒鳴った。 「馬鹿か!?お前には守らなくてはならない人たちがあるだろう!?」 「クリス様以外は皆、俺以外にも守る人間がいますから。」 「わ、私はこのまま変わらないのだぞ!?お前は年老いていく。いつまでも共にいられるわけがないだろう!?」 「俺が死ぬその瞬間までクリス様の側にいられるなら、それ以上の人生などありません。」 きっぱりと言い切ったボルスの言葉にクリスの表情がゆがむ。 「・・・・馬鹿だ、馬鹿だとは思っていたが・・・・」 「はい。2年前にリリィ殿に言われました。クリス馬鹿だと。」 どこか照れくさそうに言ったボルスからクリスは目をそらせる。 ボルスがどんな気持ちを抱いていてこんな風に言ってくれるのか、それが欠片もわからぬほどはクリスも鈍感ではなかった。 「私は・・・・お前の気持ちには・・・・」 「それも、わかってます。」 「お前はレッドラム家を継ぐのだろう?だから・・・・素晴らしい妻を迎えれば・・・・」 「俺は」 静かだがはっきりした声に、クリスは言葉を詰まらせた。 「俺は貴女以外の女性を大切にしたいとは思いません。でも貴女に俺の気持ちを押しつけようとも思ってないんです。ただ、貴女の側に置いてください。死んだ後はどこへ捨ててもかまわない。忘れても構わないですから、ただ、俺の命がある時間だけは貴女の側にいさせてください。」 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」 完全に行き詰まったようにクリスは乱暴に頭を抱えた。 ボルスは強情だ。 騎士団で何年も付き合ってきたクリスにはよくわかる。 (こいつは例え夜中こっそり私がゼクセンを抜け出したとしても追いかけてくるに違いないんだ・・・・) 強情で、激情家で、馬鹿で・・・・信じられないほど純粋で。 でも、それを酷く嬉しいと感じるのも事実。 ふと、クリスの目に右手の手袋が映った。 右手の手袋と、視界の端に一心に見上げてくる瞳。 ・・・・クリスは大きくため息をついた。 そして勢いよく右手の手袋を外すと言った。 「ボルス!!」 「は、はい!」 「今すぐサロメの所へ行って2人分、休暇を取ってこい!! 「はあ?」 意味がわからないと言うように目を丸くするボルスをよそに部屋に置いてある鏡の前に行くとクリスは崩した髪を直し始めた。 「あ、あのクリス様・・・・?」 ついていけないのか、目を白黒させているボルスが鏡に映ってクリスはこみ上げてくる笑いを必死にこらえて言った。 「早く行って!休暇を2人、3ヶ月。去年は短い休暇も取れないぐらい働いたんだ。そのぐらいくれるでしょう。」 「は、はい。で、でも2人って誰の・・・・」 「私とボルス以外誰が居る?それとも3ヶ月じゃ足りないか? ・・・・真の紋章を封じる方法をサナ殿に聞きに行くには。」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」 怒濤の衝撃の数々に完全にフリーズしてしまったボルスに、髪をまとめ上げたクリスは間抜けな顔で自分を見ている部下に婉然と微笑んで見せた。 「若いまま年寄りのお前を引きずっていくより、一緒に年を取ってのんびりお茶でも飲んでいる方がいくらか楽そうだからな。」 「クリス様・・・・・」 「わかったら、さっさと行け!早く行かないと気が変わるかも知れないわよ?」 「今すぐ行って来ます!!!!!」 ばたんっ!!ばたばたばた・・・がちゃごんがたがたがたっっ!! ボルスが飛び出していった直後に響いた鈍い音に思わず首をすくめる。 「・・・・さては階段から落ちたな・・・・」 おそらく大騒ぎになっているであろう階下の状況を考えて、クリスはとうとう、派手に吹き出したのだった。 ―― 限りある命を惜しみなく自分の為に費やしてくれると言う馬鹿のために紋章を手放すという我が儘ならば、悪くもないかと思いながら・・・・ 〜 END 〜 |